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Home トピックス 連合赤軍

◯大学闘争
 

◯赤軍派結成
大学闘争は学生達の敗北に終わりました.多くの学生達は,それほど共産主義にのめりこんでいたワケでもありませんでした. 大学をちゃんと卒業して,イイとこの会社に就職することの方が大事なコトでした.
それとは逆に,共産主義をひたすら信じ,あくまでも革命を起こすことが大事だと考えている人たちも少数ながらいました. そんな学生達の一部に赤軍派というグループがありました.
赤軍派は1969年9月4日の日比谷野外音楽堂での全国全共闘結成大会にて一般デビューします.

彼等はとっても過激でした.多くの学生は戦うことを止めて就職活動しているのに,彼等はまだ戦おうとしてたんです. なんだか焦っちゃうワケですよ.一緒に戦う仲間も少ないし,応援してくれる人もほとんどいない状態ですからね.
少ない人数でなんとかしようとするので過激になっちゃったんですね.

その年('69)の11月には山梨県塩山市にある大菩薩峠の[福ちゃん荘]に集まります.首相官邸(総理大臣が住んでるトコ)などを襲うための練習をするためでしたが,警察にバレちゃって53名が逮捕されました.爆弾とか危ないモノがいっぱい見つかりました.

明けて1970年1月,今まで過激にヤリすぎちゃって,仲間もいっぱい捕まっちゃったんで,チョット路線を変更します.[世界革命戦線構築]のため[国際根拠地]をソ連・中国等で作って,そこから日本に逆輸入しちゃおう!って路線です.
日本じゃ仲間も少ないし捕まっちゃうし,共産主義の国へ行って,そこで仲間をいっぱい作って日本に戻って革命を戦おう!ってコトです.しかし,3月15日には赤軍派議長(偉い人)の塩見孝也(当時-京都大学生)が逮捕されちゃいました.
この時警察が見つけた塩見の手帳には[H.J]と書いてありましたが,それがハイジャックだと気付くのは,その半月後です.

それは[フェニックス作戦]という作戦名の,日本初のハイジャック事件でした.

国際根拠地=外国の基地を作る方針は立てましたが,相手の国にコネもありません.とりあえず一番近い北朝鮮に行って,金日成首席に話してみて,力になってもらおう!ってコトになりました.
こうして,決行日は3月27日,東京発福岡行きのジェット機をハイジャックして北朝鮮に行くことが決まりました.

当日,遅刻して来たヤツがいました.ドコにもいるんですね,こういうドジなの.
飛行機なんて乗ったコトもないし,予約が必要なのや搭乗手続に時間がかかるので早めにチェックインしてなきゃいけないコトなんかも知らなかったんです.
決行は3月31日に延期されました.フェニックス作戦,前途多難でした.

さて,3月31日.赤軍派の9名のメンバーが集まりました.ホントはもう少し来るハズだったそうですが,もう延期はできません.東京発福岡行き日本航空351便ボーイング727[よど号]が朝の7時21分に離陸.乗員7名・乗客131名のほぼ満席状態の中には,赤軍派9名が日本刀や拳銃等(=実は偽物)を隠し持って座っていました.当時は金属探知機なんて通る必要無かったし,手荷物検査も無かったんです.
メンバーは…
リーダー:田宮高麿 (大阪市立大学生-27歳)
サブ・リーダー:小西隆裕 (東京大学生-25歳)
メンバー:岡本武 (京都大学生-24歳)
メンバー:若林盛亮 (同志社大学生-23歳)
メンバー:赤城志郎 (大阪市立大学生-22歳)
メンバー:安部公博 (関西大学生-22歳)
メンバー:田中義三 (明治大学生-21歳)
メンバー:吉田金太郎 (無職-20歳)
メンバー:柴田泰弘 (神戸の高校生-16歳) ...........↑年令は全て当時の年齢.

上昇姿勢から水平飛行へと移り,富士山上空にさしかかったころの7時33分.9名の赤軍派メンバーは隠し持っていた(刃のついていない)日本刀や(オモチャの)拳銃などを振り回し,ハイジャックすることを告げ,北朝鮮の平壌へ行くように指示しました.機長の石田真二さんは,とりあえず平壌までなんて燃料も無い(ウソ)んで福岡で着陸して燃料補給しませんか?って提案して受け入れられます.
08:59  福岡の板付空港に着陸.そこには警察の機動隊員が1,000人ほど待ち構えていましたが,警察も初めてのハイジャックだったんで,ただ見てるだけしかできません.
09:42  機長が北朝鮮への地図を要求.航路なんて無かったので,『中学校用の地図でもイイから』と切羽詰まったものでした.
13:35  具合の悪くなった人や女の人,子供たちの23名を飛行機から降ろしますが,まだ乗員乗客106名が残っていました.
13:59  福岡板付空港を離陸しました.

離陸したよど号の機長石田さんが受け取っていた地図は,ホントに中学生用の地図帳のコピーでした.ただ,そのコピーには[航路図なし、121.5MCをつねに傍受せよ]とのメモが書いてありました.
韓国領空に入り鬱陵(ウルルン)島近くにさしかかったところ2機の国籍不明(マークが消されていた)戦闘機が飛んできて、手信号で進路を下げるよう指示してきました.
14:52 よど号は韓国と北朝鮮の非武装地帯(DMZ/DisMilitalized Zone)を越えました.