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2001年9月11日火曜日
アメリカ合衆国の経済はビミョーなカンジでした.パソコンやインターネット関連の会社に対する評価がすごく下がってしまったり,ブッシュ大統領が税金を低くした影響で国民がモノを買うようになったか?ってのを気にしたり,経済がどうなの?っていうのをニューヨークで働く人たちは気にしていました.
どうしてかっていうと,ニューヨーク市でも特にマンハッタン島にはアメリカだけじゃなく,いろんな国の銀行とか証券会社とかが集まっていて,ニューヨーク/マンハッタンは世界の経済の中心地っていうカンジなんです.
そんなマンハッタン島の南に110階建てのツイン・タワー・ビル=世界貿易センタービルはありました.
なんせ110階建てだし,しかもツインだし,とっても目立つし,まぁお台場のフジ・テレビのビルとか横浜のランドマークタワーみたいなカンジで,マンハッタンのシンボルって言うカンジ.
Manhattan Island
ニューヨーク市のマンハッタン島は,ハドソン川の中州になる島です. 大きさは東京世田谷区よりも少し小さいぐらい.
Central Park セントラル・パーク
World Trade Center ワールド・トレード・センター・ビル
だからアメリカの経済って世界一,最高!っていうシンボルみたいなビルでもあったワケ.朝の8時45分(日本は夜の9時45分)
そのビルの90階あたりにジェット機がまっすぐ突っ込んでいきました.
時間通りに離陸したボストン発ロサンジェルス行アメリカン航空11便ボーイング767はアラブ系テロリスト達5名にハイジャックされて,ハイジャック犯は自分でジェット機を操縦して世界貿易センタービルの北塔に突っ込んで爆発・炎上した.
みんなビックリしたけど,突っ込んだ飛行機がハイジャックされていたのまだは知らなかったから,事故?ぐらいにしか思ってなかった.その18分後の9時3分
さらにボストン発ロサンジェルス行ユナイテッド航空175便ボーイング767が南塔にぐるっと回りながら突っ込んだ.
おんなじビルにジェット機が2機も突っ込んで来た.この時初めてテロ?!ってみんな思い始めた.9時39分
今度は首都ワシントンの近くにある国防省(通称=ペンタゴン.日本の防衛庁)にもボーイング757ジェット機が突っ込んだ.10時10分ごろ
ペンシルバニア州西の方の森にボーイング757ジェット機が墜落.一連の事故で死んだ人は2,000人以上で,しかも,たった1時間半ぐらいの間で起こったんです.
この史上空前のテロは,軍事・経済で世界をリードしていたアメリカのシンボル的建物(軍事=ペンタゴン,経済=世界貿易センタービル)を壊すこと(500億ドル以上の損害)に成功し,アメリカ国民にテロを怖がらせるコトに成功したんです.3日後の9月14日にFBIが一連の事件の犯人として19名の名前を発表しました.19名の犯人達はいろんな国から来た人たちでしたが,みんなイスラム系の名前でした.そして事件の裏にはオサマ・ビン・ラディンが関係していると国務長官(日本の外務大臣)や大統領が発表し,このオサマ・ビン・ラディンが一番の犯人だから絶対に捕まえてやる,とも発表しました.
Osama Bin Ladenオサマ・ビン・ラディンは1957年か1958年にサウジアラビアで生まれました.サウジアラビアには王様がいて,その王様が国を治めています.オサマ・ビン・ラディンの父親は建物を建てる会社の社長でしたが,王様と仲が良くて,国のお金で建てる建物の仕事を王様からもらったりしたので,とてもお金持ちになって,国の中で一番大きな会社になりました.
懸賞金2,500万ドル from FBI (2002.05.01現在)
身 長:195cm前後
誕生日:1957年3月10日
その他:やせ形,茶目,茶髪.
オサマにはたくさん(数十人)の兄弟がいます.父親が死んで,たくさんのお金を兄弟で分けましたが,それでもオサマは数十億ドルぐらいもらえました.このテロ事件後に,オサマはアフガニスタンのタリバンにかくまわれていると考えられていましたが,オサマとアフガニスタン/タリバンとの関係は,アフガニスタンが昔のソ連と戦ったアフガン戦争の時代に始まります.
1979年当時,アフガニスタンでは,誰が国を治めるか,誰が偉くなるかで,同じ国の人同士がとっても仲の悪い雰囲気でした. 同じ国の人でも,民族が違ったりすると,話がまとまりづらくなるみたいです.
12月.そんなトコにつけこんで旧ソ連がアフガニスタンに攻めて来ました.ソ連は寒い国土しか持っていなくて,港も北極に近いので,冬になるとほとんどの港が凍って使えなくなっちゃうんです.だから,昔から南に行きたい!って思ってました.
そうやってず〜っと時期が来るのを待っていたら,アフガニスタンで国内の人同士で衝突し始めたのを見て,今だ!って思ったんですね.まず,アミンっていう当時のアフガニスタンで一番偉い議長を旧ソ連のKGBが暗殺しました.それで,ソ連の言うことを聞いてくれる人を大統領にしました.
ソ連の軍隊も大勢でやってきて,戦車やヘリコプターを使って,大統領=ソ連の言うことを聞くように,アフガニスタン国民に言いました. アフガニスタン国民だって,だまっていいなりになるワケはありません.彼等は誇り高い騎馬民族だったりするからです.
1980年1月には早速ゲリラになってソ連に反撃します.アフガニスタン国民の多くはイスラム教の信者なので,周りの国のイスラム教信者も助けに来てくれました.そんな一人がオサマでした.オサマは直接銃を持って戦うよりは,お金の面で援助したり,ブルドーザーを使って秘密のトンネルや地下基地を作ったりしました. アメリカも,ソ連と仲が悪かったので,ソ連と戦うアフガン・ゲリラを陰ながら助けました.それでオサマはCIAとも知り合いになりました.
アフガン・ゲリラの粘り強い戦いと,アメリカとかの助けのおかげで,1989年にはソ連が逃げて行きました. 他の国から助けに来てくれたイスラム教信者の人たちやアメリカも,ソ連が逃げたのでアフガニスタンからいなくなりました.
オサマもサウジアラビアに帰りました.1990年の8月にイラクがクウェートに攻め込みました.イラクはクウェートにムカついてたんです(そのへんの細かい理由は別のページで説明しますね).クウェートの人たちのお金や車や財産をぶんどっちゃいました.それだけじゃなく,クウェートはイラクのものね!って言い出しました.
他の国の人は,そんなの反対!早く全部返せ!って言いましたが,イラクは無視しました.サウジアラビアはイラクの隣(イラクの南)にあって,イスラム教を信じる同志ですが,サウジアラビアもイラクに反対しました.サウジアラビアだけじゃなく,イスラム系の他の国もほとんどがイラクに反対したし,イラクの乱暴に怒りました.イラクとは近くもないしイスラム教系の国じゃないのに,ものすごく怒った国がありました.アメリカです.
アメリカは国連(いろんな国が話し合う集まり)と協力してイラクにおどしをかけます.1991年の1月15日までにクウェートから出て行かないと,力ずくで追い出すぞ!ってイラクに言いました.
イラクは,なんでアメリカがこんなに反対してくるの?関係無いじゃん?!ってカンジで無視.っていうか,そっちが力ずくならこっちも力ずくで反攻しちゃうよ,っていうノリで,みんなケンカごしです.1月15日を過ぎてもイラクはクウェートから出て行きませんでした.アメリカはイラクにナメられたんですね.
ナメられたアメリカはもっと怒ります.国連とは話がついているので,ものすごい大勢の軍隊をどっとイラク近くに送りました.
この『イラクの近く』っていうのはサウジアラビアのコトです.サウジアラビアに基地を作って,そこからクウェートを取り戻す作戦をしたり,飛行機でイラクの軍の基地に爆弾を落としたり(=空爆)しました.アメリカの基地を作るのにサウジの王様からOKをもらいました.
でも,アメリカがサウジアラビアに基地を作るのに,ものすごく反対して怒った人たちがいました.イスラム教信者,特にサウジの信者です.同じイスラム教を信じる国同士で話し合いで解決すればイイじゃん.なんで王様はアメリカの言うことなんかにOKしたんだ? アメリカの基地をサウジアラビアに作るなんて信じられない?!
そんな不満がサウジアラビアの国民にはありました.
メッカのカーバ神殿サウジアラビアには,イスラム教にとって,とても大事な場所(聖地)が2つもあります.そこは,イスラム教を信じる人しか入れません.イスラム教の信者たちは,その聖地をすごく大事にしているし,死ぬまでに一度でいいからお祈りに行きたい!って思っている人も大勢います.
イスラム教徒が毎日コノ神殿に向かってお祈りする.
とっても大事な場所.
その聖地があるサウジアラビアにアメリカの軍隊が居座るだけでも許せないのに,居座る理由が同じイスラム教のイラクと戦うためとなると,もう不満ぐらいじゃなくて激怒しちゃうワケです.
その激怒した一人がオサマでした.死んだ父親のコネもあって,王様の家族とは仲が良かったので,アメリカ軍なんて追い出しちゃえ!って王様達に言いましたが,聞いてもらえませんでした.
オサマは王様の腰抜けかげんに失望して不満たらたらになりました.一方,王様もオサマの存在がうるさくなって,国から追い出しちゃいました.
アメリカはイスラム系の人たちのことが不思議でなりません.どういう考えをしているのかがわからないのです.
無理解と偏見とで,アメリカ人のイスラム系の人たちに対する印象は,あまり良いものではありません.全く効率的でない=能率の悪い生活習慣を見て,遅れてる国々だと見なしています.たんなる野蛮人ぐらいに思っているアメリカ人たちもいるぐらいです.
アメリカ人は,アメリカがなんでも一番だと思っています(確かに軍や金に関しては世界一ですがね).
だから,いろんな国にアメリカ風にするよう言っています.そうすれば,今よりいい生活ができるよ,って.マクドナルドやコカ・コーラをかっこよく飲み食いしようぜ!ってカンジにね.アメリカは世界のお金の流れ(世界経済)の中心です.それに関する仕事をしている人がいっぱいいるし,それで儲けている人もいっぱいいます.だから,その世界経済がちゃんとしてないと困るんです.
世界経済がちゃんとしている原因の一つに,石油の値段の安定は欠かせません.電気もプラスチックも石油が欠かせませんからね.
そこで,イラクやサウジアラビアなんかで大きな戦争なんかになってしまうと大変です.イラクもサウジアラビアも,いろんな国に石油をたくさん売って(輸出して)います.それが戦争なんかで輸出できなくなったら,日本のように石油を外国から買う(輸入する)のに頼っている国の経済は悪くなってしまいます.そうすると世界経済も悪くなってきて,アメリカも困るワケです.そんな理由でイラクには猛烈に怒るんですね.ただ,世界経済にあんまり関係無い国のコトに関しては,興味もあんまりわかないし,何が起きても無関心だったりもします.また,2つの国がケンカしそうになると,アメリカに都合のイイ方を味方します.そう,アメリカって結構わがままだったりするんですね.
そんなわがままに怒りだした人たちが出てきます.アメリカの経済とはあんまり関係なくて,アメリカの味方の国とケンカしている国にとっては,いいかげんにしろ!って言いたくもなるワケです.なんで俺達ばっかり悪者扱いなんだ?と.
さて,母国サウジアラビアから追放されたオサマ・ビン・ラディンは,いろんな国を転々としますが,昔,自分が活躍したアフガニスタンに戻ってみました.すると,昔一緒にソ連と戦った英雄じゃん!ってコトで,とても感謝されるし,いろいろ面倒みてくれるんです.お客さまとしてもてなしてくれるから気分もイイわけ.