Special Report : the catastrophic attack in New York and Washington D.C.
2001.9.11-米本国同時テロ-臨時特集
中間私見-背後関係が全くワカラナイ人向けにまとめてみたんですが...
風魔@KAZAMA MYS 2001.09.16.
攻撃
2001年9月11日(火)
アメリカ合衆国第2の首都ニューヨーク.
前日のNY株はダウ平均が乱高下しており, ITバブルが弾けた不安とブッシュ大統領の公約による減税政策後の個人消費の伸びをニューヨーカーは気にしていたハズだ.
ニューヨーク市内マンハッタン島は米国のみならず海外の金融機関もオフィスを構える, 米のみならず世界の経済の中心地でもあり, そのほぼ南端に110階建てのツイン・タワー=世界貿易センタービルが米の力を誇示するようにそびえ立っていた. なんせビルの名前が『世界貿易センター』だ.
午前8:45(日本時間-同日午後9:45), そのビルの90階あたりにジェット機と思われるモノが突っ込んだ.
アメリカン航空のボストン発ロサンジェルス行き11便, ボーイング767型機は定時の7:45に出発したがアラブ人系テロリスト5名によりナイフやカッター等で脅されてハイジャックされコクピットを占拠. テロリスト自身による操縦でニューヨークに転進し, 世界貿易センタービルの北塔に突っ込み, 爆発した.
その18分後の午前9:03, ユナイテッド航空ボストン発ロサンジェルス行き175便のボーイング767型機が世界貿易センタービルの南塔に急旋回で突っ込み爆発炎上.
さらにほぼ30分後の午前9:39, 今度は政治の中心地ワシントン D.C. 郊外の国防総省=通称ペンタゴンにアメリカン航空のワシントン・ダレス空港発ロサンジェルス行き77便, ボーイング757型機が激突.
午前10:10頃にはユナイテッド航空ニューアーク発サンフランシスコ行き93便ボーイング757型機がペンシルバニア州西部森林地帯に墜落.
ここに史上空前のテロ攻撃が, 軍事・経済で世界をリードしていた米国の, その各々のシンボル的建造物を破壊することに成功した.
ナゼ?
14日にはFBIがプレスリリースとして19名の実行犯を確定したことと, 彼等の名前を発表した. 彼等の国籍は様々だが, 一様にイスラム・アラビア人の名前だった. さらに, 米政府は事件の背後にはオサマ・ビン・ラディンが関係していると考えていることをパウエル国務長官が記者会見で最初にコメントし, その後ブッシュ大統領自らもビン・ラディンの個人名を出し第1容疑者と受け止めおり, 報復攻撃の最優先対象であることを発表した.
オサマ・ビン・ラディンは1957年あるいは'58年にサウジアラビア王国に生れた. 父親は王族とは懇意であり, そのコネでサウジ最大級のゼネコンのオーナーとなり, 莫大な遺産を残している. オサマは現在, アフガニスタンに潜伏していると考えられているが, そのアフガニスタンとの縁は旧ソ連のアフガン侵攻時代に始まる.
当時のソ連は時のアフガニスタン大統領を特殊部隊を使って暗殺し, アフガンをソ連圏内に取り入れるべく大部隊で侵攻, 傀儡政権を樹立しアフガン全土を支配下に置くため部隊を展開させた. ソ連はアフガンを手中に入れ, さらに南進してアドリア海に出られれば戦略的によりグローバルに展開できると考えており, はるか以前からアフガニスタンを狙っていた.
ただしアフガニスタンは幾多の部族社会で形成されており, 彼等のゲリラ戦術にハマってアフガン侵攻はソ連にとっては泥沼に陥ることとなる. さらに, ソ連の南勢に脅威を感じた米国は直接・間接的にアフガン・ゲリラを支援した. また, ゲリラに参加したのはアフガン人のみならずアフガン以外からも多数の義勇兵が集結し, 彼等は一様にムジャヒディーン(アラーの聖戦士)と呼ばれたが, その中にはオサマ・ビン・ラディンもいた. ビン・ラディンは戦士としてよりも, 重機による土木工事で秘密の地下トンネルや訓練基地造営に活躍し, さらに独自の組織"Al Qaeda/アル・カエダ"をも持つこととなる.
ムジャヒディーンの活躍によりソ連はアフガニスタンを遂に手中に収めることなく撤退し, その後ソ連自体が崩壊してしまう. アフガニスタンはというと, ムジャヒディーン達が自らの実効支配地域を各々が統治する形となり, 誰が統一支配をするかでそれぞれが牽制し会う群雄割拠の時代に突入する.
その後ムジャヒディーン達の無法ぶりに憤慨した宗教学校の指導者の1人-オマル師が新興勢力Taliban/タリバンを組織し, またたくまに支配地域を拡大し, 現在はアフガニスタンの約8〜9割を治める大勢力にまでのし上がるが, その背後には隣国パキスタンの支援に因るところが大きい.
ソ連軍撤退後は母国サウジアラビアに戻っていたビン・ラディンだが, 湾岸戦争が彼の転機となる. イラクがクウェートに侵攻, それを知ったビン・ラディンはサウジ王室に, サウジ自身が同じイスラムの同胞として解決に臨むべきだと説く. 王室はそれを無視し, 異教徒=米軍を聖地サウジ国内に駐留することを認め, しかも湾岸戦争終結後も米軍を居座り続けさせている. ビン・ラディンは猛烈にサウジ王室を非難するが, 王室は彼のサウジ国籍を剥奪した. 彼はその後アフガニスタンに戻り旧知の仲であったタリバンの最高指導者オマル師と出会い, 客人としてもてなされることとなり, 彼の地においてもサウジ王室を非難し続け, 米政府にも噛み付く.
イスラム世界は米国の国益主義に振り回されてきた歴史がある. 米はかつてイランと仲のイイ時代もあり, 武器供与までしていた. その後は仲違いしイラクに近付くが, そのイラクとも仲違い. イスラエル・パレスチナ問題でもイスラエルへの一方的な肩入れで, 米供与による最新兵器で幾多のパレスチナ人が死亡している.
イスラム教の聖典コーランの教えを極端なまでに, あるいはねじ曲げて解釈し, かたくなにそれを押し通そうとする, いわゆるイスラム原理主義者達にとって, そんな米国政府の大イスラムへの介入はウザイばかりでなく, 異教徒=悪魔の行為と受け止められている.
ビン・ラディンはそれら各国の原理主義組織を資金・思想の面でカリスマ的な地位を確立し, 反米テロを各勢力に呼び掛けている.
今回の米本土テロをビン・ラディン本人が具体的に計画していた証拠は, 未だ米政府から示されてはいない. しかし彼が反米テロのカリスマである立場には違いない.
彼の関与が疑われている主なテロ事件
'98年ケニア・タンザニア米大使館爆破事件-死者250名以上
'00年イエメン沖での米駆逐艦コールへの自爆テロ...等々
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