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Operation NIMROD :駐英イラン大使館占拠事件 - 1980 4/30-5/5

Operation BARRAS :駐シエラ・レオネ英兵人質事件 - 2000 9/10

 



駐英イラン大使館占拠事件
Operation "NIMROD":ニムロデ作戦

1980年4月30日

11:32
 6名の襲撃者が正面玄関より侵入.スコットランドヤードからの出向者トレバー・ロック巡査が任務に就いていたが,突然押さえ込まれ,中へと引きずり込まれた.彼はなんとか直前に小型無線機にて緊急信号を発信.
当時,大使館には26名(内9名の訪問者,内2名のBBC職員)いたが,襲撃に際し2名(大使館報道官:アッバス・ラバサーニ,アルバイト職員:アリ・アクバル)を殺害.
DRMLA(アラブ自由と民主革命運動)を名乗り,リーダーは『オアン』の名で知られるテロリストだった. 反ホメイニ派のかれらはイラン国内で逮捕されている同志の解放を要求. 要求が聞き入れられない場合は,30分毎に人質の殺害をほのめかす. 高度に組織化された彼等はベルギー製M2 9mmサブマシンガン,ブローニング 9mmハンドガン,トカレフ等で武装.

12:09  現場に駆けつけた警官達の指揮をとるため警視総監代理ジョン・デローが到着.

14:25  スコットランドヤードの対テロ分隊C13が指揮を執ることとなる.特捜部A9が到着.また,電子監視等の技術支援部隊C7や,陸軍爆弾処理班も到着した.

4月30日〜5月5日
大使館襲撃のまさにその時に,首都警察で警察犬トレーナーのダスティ・グレイ(元SAS下士官)が近くに居たため事件を察知.SASへ通報.当時,CRW TeamはB中隊で,通報時はまさにキリング・ハウスにて訓練中だったが,急きょロンドンへの向かう.
私服でランドローバーに乗って偵察を行い,来るべき突入への備えとして大使館屋根の煙突に降下用ロープを結び付けておいた.
ロンドン兵舎にて諸々を検討.人質だったBBS職員の一人が解放されたたテロリスト達の数・位置・武装等を確認.大使館の隣のビルは5階建てで,そこから突入を仕掛けるのにはうってつけである,とのコトとなる.人質達の写真が各隊員に回され,テロリスト達を識別し掃討する幾多のプランがねられた.

採用プランはチームを2つ(Red & Blue)に分け,それぞれ別のルートから突入することにした.レッド・チームは屋根からのファースト・ロープにより1F及び2Fのバルコニーから突入.ブルー・チームは陸上からの突入.各チームは窓枠破壊用にプラスティック爆薬を装備.各隊員は9mmブローニングとH&K MP5サブマシンガンを黒尽くめの戦闘服と一緒に装備することとなった.

テロリスト達は警察との交渉で,当初の要求を諦め,調停役として駐英アラブ系大使3名との面会と,英国外からの安全な脱出確保を要求.

5月5日
13:31
大使館から3発の銃声

18:50
更に数発の銃声が聞こえ,玄関から1体の死体が投げ出された.

19:07
指揮権が警察から軍(SAS)へと移る.

19:23
ニムロデ作戦開始

まずレッド・チームがファースト・ロープ降下.その際,1名がロープに絡まり,当初窓枠を爆破してから侵入する 案を断念し,大ハンマーで撃ち破る計画に変更.絡まった1名もロープを切断.CSガス弾を投入し突入が始まった

テロリスト達は突入を察知.リーダーのオーアンは突入してきた1隊員に狙いを定めたその時,人質だったロック巡査が体当たりし,彼を組み伏せた.直後に銃撃が始まりオーアンも撃たれた.テロ達も応戦し,人質1名死亡,2名はケガを負った.

20:15
作戦終了.隊員達はマスコミの目を避け,バンに乗り込み現場から去る.↑Top.
 


駐シエラ・レオネ英兵人質事件
Operation "BARRAS"

2000年9月10日
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