| 冷戦終結後〜イラク戦争
 
 
  | 1989年 |  |  
  | 12月3日(日) |    ブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長がマルタ島にて冷戦終結を共同宣言。 |  
  
  | 1990年 |  |  
  | 7月17日(火) |  フセイン大統領はイラク革命記念日での演説で,一部のアラブ諸国が世界の原油価格を不当に下落させることでイラクを窮地に追い込んでいると非難。
 1988年8月20日のイラン・イラク戦争の終結後,イラクは700億ドル超もの対外債務を負っていた。外貨獲得を石油の輸出に頼っていたイラクはOPECに原油価格の引き上げ=原油の減産を希望したが聞き入れられず,さらに,サウジアラビア,クウェートとアラブ首長国連邦にいたってはOPECでの協定枠以上の原油を増産し,原油価格は値崩れ(1バーレルあたり20ドル割れ:[参]IFM1次産品価格データ)していた。 |  
  | 8月2日(木) |  イラク軍がクウェート侵攻。    国連安全保障理事会は国連安保理決議660を採択しイラクのクウェート侵攻を非難。即時無条件撤退を要求。 |  
  | 11月29日(木) |    国連安全保障理事会は国連安保理決議678を採択。イラクのクウェート撤退期限を1991年1月15日とし,履行されなければイラクに対しあらゆる措置を認めると決議。 |  
  | 1991年 |  |  
  | 1月16日(水) |  砂漠の嵐作戦(Operation Desert Strom)開始。湾岸戦争が始まる。 |  
  | 2月28日(木) |  湾岸戦争終結。 |  
  | 9月13日(金) |    米国務長官ジェームズ・ベーカーとソ連外相ボリス・パンキンが1992年1月1日をもってナジブラおよびアフガン反政府派への武器供与を相互に停止することを合意。 |  
  | 12月25日(水) |  ソビエト連邦大統領,ミハエル・ゴルバチョフが辞任。ソビエト連邦崩壊。 |  
  | 1992年 |  |  
  | 1月1日(水) |    CIAがアフガニスタンで秘密作戦を行う法的権限が失効。 |  
  | 1993年 |  |  
  | 1月25日(月) |  CIA本部前銃撃事件。パキスタン人ミール・アマル・カシ(Mir Aimal Kasi/28歳)がCIA本部につながる車列に並ぶ車に道路を降りてAK-47で銃撃。作戦部門(当時のDO. Directorate of Operation)のフランク・ダーリング(Frank Darling/28歳)とランシング・ベネット医師(Lansing H. Bennett/66歳)が死亡。カシは翌日にはパキスタンに帰国,逃亡に成功した。 |  
  | 2月26日(金) |  ニューヨーク市の世界貿易センタービル爆破事件。 |  
  | 10月3日(日) |  ブラックホーク・ダウン。内戦中のソマリアの首都モガディシュに派兵されていた米軍が,アイディド派の幹部2人を確保=誘拐する作戦を開始。デルタフォースC中隊,第75レンジャー連隊第3大隊B中隊,第160特殊作戦航空連隊など約160人が作戦に投入されたが,ヘリコプターUH-60ブラックホーク2機が撃墜される。米兵18人死亡。ヘリ搭乗者の死体が群衆によって無惨な姿で市中を引き回される姿がテレビに映し出され,当作戦は以後の米クリントン政権の他国への軍事介入方針を一変=尻込みさせるほどの失敗となった。 |  
  | 1994年 |  |  
  | 2月21日(月) |    FBIがCIA局員オルドリッチ・エイムズをスパイ容疑で逮捕。 |  
  | 7月8日(金) |  金日成,死去。 |  
  | 1995年 |  |  
  | 4月19日(水) |  オクラホマ・シティ連邦ビル爆破事件。死者168人。 |  
  | 11月 |  スーダン・ハルツーム大使館は大使館閉鎖を勧告する内容の公電を本国に打電。(GW1 p.431) |  
  | 1996年 |  |  
  | 1月 |    CIAの対テロ対策センター(CTC)がオサマ・ビンラディンただ1人を専門に追跡する部門「ビンラディン担当支局(Bin Laden Issue Station)」(暗号名アレック/Alec)をCIA本部から数km離れたバージニア郊外のオフィス・パークに新設。当初のメンバーは12人。(GW1 p.427〜)  ウォーレン・クリストファー国務長官がスーダンからの撤退,大使館閉鎖を決定。(GW1 p.431) |  
  | 2月6日(火) |    スーダン副大統領アリ・オスマン・タハのハルツームの自宅でティモシー・カーニー駐スーダン大使の送別夕食会。カーニーはワシントンに大使館閉鎖決定の再検討を期待するなら,スーダンがテロリスト支援との決別を真剣に取り組むよう話す。また,スーダンへの最大の懸念材料はオサマ・ビンラディンであることを伝えた。(GW1 p.432) |  
  | 3月8日(金) |    スーダンはエルファティ・エルワ将軍を秘密特使としてワシントンに派遣。CIAアフリカ局の2人の担当官と会談しオサマ・ビンラディンとその支持者たちの詳細な情報を要求される。    スーダン政府はその要求にすぐには対応せず,ビンラディンに出国するよう通告。(GW1 p.432・436) |  
  | 5月 |  オサマ・ビンラディンと3人の妻,その子供たち,および部下たちがスーダンからアリアナ・アフガン航空のチャータ便でアフガニスタンに移動。カブール州都ジャララバードに到着。対ソ戦中に戦う慈善家として知られていたため地元の軍閥に歓迎された。    スーダン政府はビンラディン出国後に米側に通知。アフガン東部に情報源をなくしていたCIAイスラマバード支局はビンラディンの到着を監視できなかった。(GW1 p.437) |  
BW=『ブッシュの戦争』ボブ・ウッドワード著(原題=『Bush at War』by Bob Woodward)ISBN4-532-16437-0
 CW1=『アフガン諜報戦争(上)』スティーブ・コール著
(原題=『GHOST WARS』by Steve Coll)ISBN978-4-560--8159-4
PA=『攻撃計画』ボブ・ウッドワード著
 (原題=『PLAN OF ATTACK』by Bob Woodward)ISBN4-532-16473-7
 SW=『戦争大統領』ジェームズ・ライゼン著
 (原題=『STATE OF WAR』by James Risen)ISBN4-620-31780-2
 
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