イラク戦争

2001年

01月初旬

ディック・チェイニー次期副大統領が現政権(クリントン政権)のコーエン国防長官に,ブッシュ次期大統領への要旨説明において一番の話題をイラク問題にしてほしいと要求。(PA p.13〜)

01月10日(水)

就任直前のブッシュ次期大統領以下,チェイニー,ラムズフェルド,パウエルが国防総省にてコーエン国防長官らよりクリントン政権からの対イラク戦略要旨説明を受ける。

01月1X日(?)

就任直前のブッシュ次期大統領以下,チェイニー,ライスがジョージ・テネットCIA長官とジェイムズ・パビットCIA工作本部長(James L. Pavitt Director of Direcotrate of Operations, CIA)より秘密要旨説明を受ける。
国家安全保障に対して重要な脅威3点を説明。
1。オサマ・ビン・ラディンとアルカイダによるテロ行為
2。大量破壊兵器の拡散問題
3。中国の(特に軍事力の)勃興

01月20日(土)

ジョージ・W・ブッシュが大統領に就任。

02月05日(月)

長官級国家安全保障会議。
クリントン政権からの対イラク政策と外交・軍事・情報活動の選択肢の見直し。(PA p.18〜)

02月16日(金)

米英両空軍の爆撃機によるイラク領内のレーダー施設及び指揮所約20カ所を爆撃。この2年間で最大規模。(PA p.19〜)

03月01日(木)

長官級国家安全保障会議。
ラムズフェルド国防長官は対イラク制裁措置による禁輸項目の内容をこじつけとも思える理屈で抗議。パウエル国務長官と言い争いとなる。(PA p.21〜)

05月31日(木)

スティーブン・J・ハドリー国家安全保障問題担当大統領副補佐官が副長官クラスを集めて対イラク政策を練った。その中で,ウォルフォウィッツ国防副長官がフセイン政権転覆を強硬に主張。(PA p.29〜)

パウエル国務長官はブッシュ大統領に対しウォルフォウィッツらネオコンの対イラク強攻策にまどわされないよう忠言。

06月13日(水)

米国の提案でイスラエル・パレスチナの停戦合意。

07月10日(火)

テネットCIA長官(DCI George Tenet)はオサマ・ビン・ラディンおよびアルカイダの最新情報を聞くためにコーファー・ブラック対テロセンター所長(CTC's chief Cofer Black)と会議。
ブラックは,断片情報だがアルカイダによる米国攻撃の可能性が強まっていると警告。 NSAはそれまでに『決行の時は近い…』など34件のビン・ラディン配下による不審な通信を傍受していた。
会議後,その足で二人はコンドリーザ・ライス国家安全保障問題担当大統領補佐官に面会し早急な対策を要求するも,ライスの関心を引くことはできなかった。

08月04日(土)

ラムズフェルド国防長官はシェルトン統合参謀本部議長,作戦計画部長を含む部課長級の会議を招集。イラクや北朝鮮などの戦争計画68件に関して内容を聞いたラムズフェルドはそのすべてに不満を示し,全面的な手直しを要求。(PA p.44〜)

CIAのイラク工作群主任(head of Iraq operations)として,世界中のCIA支局で工作担当官や先任工作員を長年務めた経験のある"サウル(Saul/CIA工作員のため偽名)"が就任。(PA p.90〜)

08月09日(木)

エルサレムにて大規模な自爆テロ。エルサレム中心地にあるレストラン「スバロ」にて。15人死亡。130人が重軽傷。これにより6月の停戦合意が崩壊。

08月24日(金)

ブッシュ大統領が次期統合参謀本部議長にはリチャード・B・マイヤーズ空軍大将が就任すると発表。

08月27日(月)

駐米サウジアラビア大使のバンダル皇太子がブッシュ大統領と面会。イスラエル寄りの米国戦略に対し非難=サウジアラビアはもはや米国の権益を考慮せずに自国の権益を独自に決定する,とのアブドラ皇太子のメッセージを伝える。

08月29日(水)

ブッシュ大統領はアブドラ皇太子宛に,サウジアラビアと米国との関係は強固でありパレスチナを独立国として認めるとの内容の書簡を送る。

09月06日(木)

ジョン・P・ジャンパー空軍大将が空軍参謀総長に就任。

アブドラ皇太子より返信。パレスチナを国家として認めると公に宣言することを促す。ブッシュはこれを承諾し,翌週に発表される予定となる。

09月11日(火)

米国同時多発テロ発生。

テロ発生前の朝,テネットCIA長官はデビッド・ボーレン(David L. Boren)民主党元上院議員と朝食中に,最近不安に思っていることは何かと尋ねられ,ビン・ラディンです,と答える。さらに,その朝食中にテロ攻撃が行われたとテネットの警護官が知らせに来た時に,これはビン・ラディンの仕業です,とボーレンに明言する。また,まさか飛行機の操縦訓練を受けていたあいつと関係があるんじゃないだろうな,とのつぶやきを残してCIA本部へ急ぎ戻る。(BW p.6〜)
CIAイラク作戦群主任のサウルとそのスタッフ数名が,秘密工作ではフセイン政権転覆はかなわず軍事侵攻でのみ可能であるとの説明を国家安全保障会議の上級職員に行うためにホワイトハウスとなりの大統領府ビルに向かっていたが,その途中でテロ攻撃をラジオで聞いて知りCIA本部に引き返す。(PA p.95)

ラムズフェルド国防長官は国防総省幹部に,これを機にオサマ・ビン・ラディンのみならずサダム・フセイン=イラクを攻撃できるか尋ねる。(PA p.33〜)

20:30 ブッシュ大統領は「テロリストとそれをかくまうものを攻撃する」という主旨の演説を行う。

21:30 ブッシュ大統領がホワイトハウス地下の非常用防空壕に国家安全保障問題担当の主要閣僚と大統領補佐官を招集し会議。 パウエル国務長官は「パキスタンとアフガニスタンにはっきりと教えてやるべきです。ショータイムだと」発言。ラムズフェルド国防長官は,大規模な攻撃の準備に60日程度かかる,と告げる。(BW p.43〜)

09月12日(水)

長官級国家安全保障会議。
ラムズフェルド国防長官「アルカイダのみならずテロリズムと幅広く戦うのか? 支援には,より広範な体勢を模索するのか?」
ブッシュ大統領「アルカイダに絞る」
チェイニー副大統領「つかみどころのないテロリストよりも,テロ支援国家=国を攻撃目標とした方が楽」
ラムズフェルド国防長官「アルカイダだけでなくイラクも攻めればいい」
パウエル国務長官「イラク攻撃には反対。アルカイダに攻撃目標を絞るのは,国民がそう望んでいるからだ」(BW p.65〜)

09月13日(木)

09:30 国家安全保障会議にてテネットCIA長官とコーファー・ブラックCTC所長によるアフガニスタン潜入工作のプレゼンテーション。(BW p.68〜)

13:30 パウエル国務長官はパキスタンのムシャラフ大統領に米国に全面的に協力するよう電話で依頼し,了解を得る。(BW p.78〜)

09月15日(土)

キャンプ・デービッドにて911対応討論。
テネットCIA長官は対テロ作戦についてCIAにほぼフリーハンドの権限を与えるよう要求。
ウォルフォウィッツ国防副長官はアフガニスタン攻撃は種々の理由により見通しが明るくないのでフセインを討伐=イラクを攻撃すべきと主張。ラムズフェルド国防長官も同調。パウエル国務長官は,イラクを攻撃すれば今は味方についている国も離反するとして反対。(BW p.99〜)(PA p.34〜)
今はイラクを攻撃すべきときではないとの結論にいたる。

09月16日(日)

ブッシュ大統領はライス国家安全保障問題担当大統領補佐官に,テロとの戦争の最初の攻撃目標はアフガニスタンにし,イラクは今はやらないが,いずれイラクとの問題に戻る,と告げた。(PA p.35〜)

09月17日(月)

ブッシュ大統領はCIAの役割を拡張する世界各地での対テロ作戦を承認する大統領令に署名。タリバンには本日,最後通牒を発し,オサマ・ビン・ラディンとアルカイダのメンバーを米国に引き渡さなければタリバンを攻撃する,と国家安全保障会議で決断。(BW p.129〜)(PA p.36〜)

09月22日(土)

モラーFBI長官はブッシュ大統領に,テロリスト掃討の一環として417人に対し事情聴取を行い,331人が要注意人物リストの載ったと報告。(BW p.154〜)

09月23日(日)

長官級国家安全保障会議。CIA駐パキスタン・イスラマバード支局長の報告を基にテネットCIA長官がアフガニスタンの情勢を報告。具体的な攻撃対象の検討。(BW p.160〜)

09月24日(月)

テロ組織,テロリスト,テロリズムに係るダミー会社,NPOなど27の団体や個人名義の資産を即時凍結する大統領令が発せられた。

09月26日(水)

CIAの秘密潜入工作チーム「ジョーブレイカー」(表向きのチーム名は北部アフガニスタン連絡チーム。NALT:Northern Alliance Liaison Team)がアフガニスタン北東部パンジシール渓谷に到着。北部同盟を支援しタリバンを駆逐する作戦に就く。

10月07日(日)

米英軍によるアフガニスタン空爆開始。B-1,B-2,B-52爆撃機や戦闘機計40機による攻撃の他,米英合わせて50発の巡航ミサイルを発射。

10月19日(金)

CIAに遅れること23日目に米陸軍特殊部隊がアフガニスタン入り。

11月21日(水)

国家安全保障会議終了後,ブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官一人を呼び止めイラク戦争計画の最新化を秘密裏に行うよう指示。コンドリーザ・ライス国家安全保障問題担当大統領補佐官には事前にラムズフェルドに指示を出すことを伝えていた。(PA p.3〜)
この時点での対イラク戦争計画=作戦計画1003は本文200頁に加え,兵站・情報・陸海空の作戦に関する20件ほどの付属文書が計600頁ほどとなるもので,ほぼ7ヶ月の準備期間を経て兵員50万人を中東に送り込むことになっていた。(PA p.12〜)

11月25日(日)

元海兵隊員のCIA工作員ジョニー・マイケル・スパン(Johnny Micheal Spann)がアフガニスタンはマザリ・シャリフ郊外の捕虜収容所で起きたタリバン兵による暴動で交戦中に死亡。アフガニスタンでの米側初の戦死者として知られることとなる。

11月27日(火)

ラムズフェルド国防長官はフロリダ州タンパの中央司令部を訪れ,中央軍司令官トミー・フランクス陸軍大将と二人きりになった上で対イラク戦争計画の練り直しを命じる。(PA p.48〜)

11月29日(木)

ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官構想の対テロシンクタンク「ブレッチリーII(Bletchley II)」の討論会がアメリカン・エンタープライズ研究所(American Enterparise Institute)所長クリストファー・デムス(Christopher DeMuth)により開催。
911を含む対米テロは中東問題に発していることを論証し,中東の安定化にはサダム・フセインとバース党との対決は不可避であるとの結論を出す。その報告書はブッシュ政権の主要閣僚に提出されブッシュ大統領に大きな影響を与える。

11月末

英国秘密情報部SISはワシントンに,パキスタンで行っていた秘密作戦の成果を伝えた。パキスタンの某核兵器設計者はイスラム過激派組織の一員として身分を偽装したSIS局員に核爆弾のおおまかな設計図を売却することに同意し,ダーディー・ボムのおおざっぱな製造方法の情報も有していたとの内容。
報告を受けたブッシュ大統領はその内容に愕然とし,テネットCIA長官に現地での調査を要請。テネットは直ちにパキスタン現地に飛びムシャラフ大統領に懸念を強硬にぶつけ,調査を要請。パキスタン治安当局が拘引した科学者数名のうち一名がアルカイダのメンバーと会ったことがあるとの情報を得る。また,サウジアラビアも含め,5カ国の情報機関が,なんらかの形の核兵器1個が所在不明になっている可能性があるという情報があるとも伝えられ,その報告を聞いたブッシュ大統領にさらなる衝撃を与えた。(PA p.61〜)

12月01日(土)

ラムズフェルド国防長官はマイヤーズ統合参謀本部議長を通し新・対イラク戦争計画の基盤となる指揮官の判断を作成するよう中央軍司令官のフランクス大将に命じる。(PA p.51〜)

12月04日(火)

国防総省でフランクス中央軍司令官がラムズフェルド国防長官に対し対イラク戦争計画のプレゼンテーション。イラク攻撃の大統領指令が出てから軍事作戦開始までにかかる期間の短縮,送り込む部隊の規模,イラクに侵攻してから目標を達成するまでの期間,などについて。(PA p.54〜)

12月12日(水)

国防総省でフランクス中央軍司令官がラムズフェルド国防長官に対し対イラク戦争計画の第2回プレゼンテーション。フランクスの案に満足しないラムズフェルドは,早ければ4月ないし5月にはやれるように考えておくように,と伝える。(PA p.57〜)

12月14日(金)

ブッシュ大統領は,1972年に米露間で締結した弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの脱退をロシアに通告したと発表。

12月28日(金)

テキサス州クローフォードにいたブッシュ大統領は国家機密区分情報施設(SCIF:Sensitive Compartmented Information Facility)にて対イラク戦争計画についてのブリーフィングを行う。フランクス陸軍大将は,大統領の承認を得られれば4〜6ヶ月以内に戦闘作戦が開始可能であると説明。(PA p.70〜)

2002年

01月03日(木)

テネットCIA長官,サウルCIAイラク作戦群主任及び対イラク戦争計画に携わっている近東課長補佐と秘密工作員2名の一同がチェイニー副大統領とリビー首席補佐官に会いに行き,秘密工作ではフセインを排除不可能であることを説明。一行は同様にブッシュ大統領にも説明。(PA p.95〜)

01月17日(木)

中央軍司令官フランクス陸軍大将と中央軍作戦部長レニュアート空軍少将がラムズフェルドに対イラク戦争計画の第4弾のプレゼンテーション。作戦開始に必要な最低兵員数は10万5000人で,この部隊を当該地域に派遣するのに30〜45日かかると説明。(PA p.106〜)

01月18日(金)

ブッシュ大統領は,身柄を拘束しているアルカイダやタリバンなどのテロリスト容疑者に対しジュネーブ条約を適用しないことを決定。

01月29日(火)

ブッシュ大統領は一般教書演説にてテロ支援国家として北朝鮮・イラン・イラクを名指しで“悪の枢軸”と批判。

02月01日(金)

CIAイラク作戦群主任のサウルがラムズフェルド国防長官と会談し,イラク政権転覆作戦で軍を支援する秘密工作の概要を説明。(PA p.140〜)

02月07日(木)

中央軍司令官フランクス陸軍大将がブッシュ大統領ら国家安全保障チームに対イラク戦争の<起動済み開始計画>を説明。準備と兵員の移動に90日間,その後に戦闘を開始し,大規模な地上作戦に先駆けての激しい空爆に45日間,それからフセイン政権を打倒する地上攻撃作戦に90日間を要するとの内容。また,実質的に安心して戦闘を開始できるのは10月であり,最善の時期は11月ないし12月〜2月末にかけてであると説明。(PA p.130〜)

アリ・フライシャー報道官は,拘束したタリバン兵にはジュネーブ条約を適用するがアルカイダら国際テロリストには適用しない,と発表。
1月18日の決定に対するマイヤーズ統合参謀本部議長やパウエル国務長官らの反対意見にブッシュ大領領が妥協した結果。

02月16日(土)

ブッシュ大統領はイラクの政権転覆をはかる新たな機密情報命令に署名。

02月20日(水)

CIA調査チームは密かにイラク北部のクルド人自治区に潜入し,NILE(Northern Iraq Liaison Element:北部イラク連絡班)と呼ばれるCIA潜入工作チーム展開の準備を行う。(PA p.143)

03月06日(水)

中央軍司令官フランクス陸軍大将はチェイニー副大統領に対し各国の指導者と情報機関の責任者の経歴に関する情報を伝え,対イラク戦争に向けて各国に何を求める必要があるかを説明。(PA p.143〜)

03月21日(木)

中央軍司令官フランクス陸軍大将は指揮下の陸海空軍と海兵隊の司令官たちをドイツにあるラムシュタイン空軍基地(米軍及びNATO軍の大規模空輸施設)に集め二日に渡り対イラク戦争計画を説明。(PA p.148〜)

03月23日(土)

統合参謀本部が対イラク戦争の机上演習を開始。(PA p.149〜)

04月24日(水)

中央軍司令官フランクス陸軍大将はカタールのドーハに主要部隊の指揮官たちを集め対イラク戦争に向けての準備作業について会議。(PA p.160〜)

05月09日(木)

中央軍司令官フランクス陸軍大将は指揮官たちに,トルコを経由して北からイラクへ侵攻する第二戦線のための計画立案を指示し,翌日には検討内容をまとめてラムズフェルド国防長官に報告。(PA p.161〜)

10月04日(金)

対イラク戦情報主任幕僚ジェイムズ・マークス陸軍少将はDIAスタッフを招集しイラクの大量破壊兵器についての情報会議を開催。
946カ所の大量破壊兵器の施設と疑わしいリストが提出されたが確実な情報は一つもなかった。

11月04日(月)

CIA工作本部近東・南アジア工作部(Near East and South Asia Division, Directorate of Operations)部長にロバート・リッチャー(Robert Richer)元ヨルダンCIA支局長が就任。

11月08日(金)

イラクにおける大量破壊兵器の査察に関する安保理決議1441が採択される。

11月11日(月)

アルカイダの訓練キャンプを運営していたアルカイダ幹部=イブン・アル・シャイク・アル・リビ(Ibn al-Shaykkh al-Libi)がパキスタン国軍により拘束。

11月13日(水)

イラクは安保理決議を受け大量破壊兵器の査察を受け入れることを表明。

11月27日(水)

UNMOVIC(国連監視検証査察委員会(生物・化学兵器及びミサイル担当))及びIAEA(国際原子力機関(核兵器の開発計画担当))がイラク全土において大量破壊兵器の査察活動を開始。

12月05日(木)

ラムズフェルド国防長官の私設顧問ステファン・ハービッツ(Stephen Herbits)は,ダグラス・ファイス(Douglas Feith)政策担当国防次官らのイラク戦後計画が不十分なためラムズフェルドが介入するよう説得。

12月21日(土)

テネットCIA長官は,イラクが大量破壊兵器を保有しているのはスラムダンクぐらい確実だとブッシュ大統領に発言。

2003年

01月13日(月)

ダグラス・ファイス政策担当国防次官はラムズフェルド国防長官の意向により国防産業会社L3コミュニケーションズの取締役であるジェイ・ガーナー(Jay Garner)退役陸軍中将にイラク戦後機関の長に就任要請。

ブッシュ大統領はパウエル国務長官をオーバル・オフィスに呼び,イラク侵攻を決断したことを告げた。

01月20日(月)

ブッシュ大統領は,国防省にイラク戦後計画室を設置することを認める国家安全保障大統領令24号に署名。

02月05日(水)

パウエル国務長官がイラクの大量破壊兵器を開戦の事由とする演説を国連安全保障理事会で行う。

03月19日(水)

米英軍によるバグダッド他の主要都市に対する空爆開始。対イラク戦争作戦『Operation Iraqi Freedom』の開始。

04月06日(日)

CIA上層部に招かれた穏健派のシーア派反体制派指導者アブドル・マジド・アル=ホイ師(Abdul Majid al-Khoei)が亡命先のロンドンからイラク入り。現地CIA局員は情勢不安定のため危険としてイラク入りに反対したが,親米的宗教指導者をイラクで確立しイラクのシーア派を沈静化させようと考えたCIA上層部が押し切る。
(SW p.167)

チャラビINC(イラク国民会議)議長がナシリーヤに到着。

04月09日(水)

バグダッド陥落。

04月10日(木)

穏健派のシーア派反体制派指導者アブドル・マジド・アル=ホイ師がナジャフのイマーム・アリ・モスクにて暗殺される。

05月12日(月)

同日深夜から翌未明にかけサウジアラビアの首都リヤドにある外国人居住地3カ所にて連続爆破テロ。死者26人,負傷者194人。

07月XX日

CIAバグダッド支局は本部に,被拘束者に対する訊問のガイドラインを書面で請求するも放置される。
(SW p.172〜)

12月XX日

CIAバグダッド支局が以前から要請していたアナリスト派遣がようやく実現し,30人のアナリストが派遣された。以後,反政府活動の全容解明作業が始まる。
(SW p.171)

2004年

03月31日

ファルージャにてブルックリン橋の惨劇事件。
補給車の護衛中の民間軍事会社BLACK WARTER社の米国人社員4人が銃撃を受け全員死亡。遺体はファルージャ市民により切り刻まれ,焼かれて引きちぎられ,一部は電線にぶら下げられた。黒焦げになった2つの遺体は車の後ろにロープで繋がれて市内を引きずられ,橋げたにくくりつけられた。

PA=『攻撃計画』ボブ・ウッドワード著
(原題=『PLAN OF ATTACK』by Bob Woodward)ISBN4-532-16473-7
SW=『戦争大統領』ジェームズ・ライゼン著
(原題=『STATE OF WAR』by James Risen)ISBN4-620-31780-2
BW=『ブッシュの戦争』ボブ・ウッドワード著
(原題=『Bush at War』by Bob Woodward)ISBN4-532-16437-0


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